HISTORY
私たちが歩んだ
50年
そして、これからの未来に向けて
1970
労働組合は、
8人のメンバーからはじまった。
⾼度経済成⻑期の真っ只中であった1970年当時のIYは、東京・千葉・埼⽟などに19店舗を数えるのみでしたが、さらなる成⻑を⽬指し、ナショナル・チェーンの構想を持って新たなスタートを切りました。
労働組合結成の原動⼒(理由)は、従業員から「当社のような⼤きい企業に組合がないのは不⾃然」「ボーナスを年内に⽀給して欲しい」という強い要望が挙がったため。
1970年9⽉19⽇に8名が組合結成発起⼈委員会を⽴ち上げ、10⽉22⽇に組合結成⼤会を開催。 組合員2,200名によるイトーヨーカドー労働組合が誕生した。
結成当初から変わらない3つの考え方は、50年という年月を経て今も引き継がれています。 企業の発展がなくては雇用を守り、労働条件を維持・向上させることはできない。
そして、一人ひとりが助け合い・相互扶助の精神を持ち、お客様や地域社会など、より多くの人に愛される組織をめざし、自ら考え主体的に行動していこう、という考えです。
3つの基本的考え方
- 涸れた井戸から水は汲めない
- 組合員による組合員のための組合活動
- 皆は一人のために一人は皆のために
1970
1970年
機関紙「さんか」誕生
1970年(昭和45年)12月1日に「イトーヨーカ堂組合新聞(仮名)」が発行されました。月に1回の発行そして組合員みんなに愛される機関紙にしたいと、機関紙名を全組合員から募集。北浦和支部レジ係(当時)梅村紀世子さんの作品である「さんか」と命名されました。
この「さんか」には「労働組合に無関心であってはならず、もっと各人が組合に参加することに望みを持って欲しい。いつも参加の気持ちを忘れないようにしたい」という想いが込められていました。
1971
1971年 生産性向上運動
IAM(アイアム)運動
労働組合結成1年後の1971年、生産性向上のために必要なのは「お客様を大切にする姿勢」という考えから、「IAM」運動を展開しました。
私たちの給料はお客様からいただいていることを改めて感じ、「今、何をすべきか」を考えて行動し、お客様に信頼していただくことが仕事の自信にもつながる。結果的に、生産性の向上だけでなく、労働条件の向上にも結びつくということを究極の目的として推進されました。
1972
1972年
ビバ・ヤング開催
1972年4月18日に、労働組合主催の新入組合員歓迎大会「ビバ・ヤング」が後楽園にて開催されました。
このイベントは労働組合が初めて全体で行うイベントであり、新入組合員歓迎行事実行委員会を設置して何度も念入りな打ち合わせが行われました。大会当日は組合員3,800名のうち2,200名の組合員が参加。式典には、会社社長である伊藤雅俊氏も参加し、催しやボウリング大会、歌謡ショーなど、若さと熱気が溢れた大会となりました。
1974
1974年 冬期一時金交渉
チェーンストア業界始まって以来の経営環境の悪化、インフレ物価高騰から来る生活へのしわ寄せに見舞われた中での一時金交渉でした。会社側からは高額妥結の回答をもらったものの、この不況を乗り切るため、1975年の新年会・一泊旅行の中止の提案がありました。
一時金とは別途に進めるべき交渉内容でしたが、労働組合としても厳しい経営環境を認識し、拡大中央執行委員会の中で審議した結果、この提案を受け入れ妥結に至りました。
1975
1975年 福祉カンパ活動開始
1975年、組織労働者としての自覚を持って外にも目を向けて行動すること、またこの活動を通じて組織強化を図ることを目的に、福祉カンパ活動はスタートしました。同年の賃上げ要求決定の臨時中央大会にて承認され、5月25日より全支部で一斉にカンパ活動が開始。支部長、支部役員を中心に精力的に行われ、1,235,030円という多額のカンパ金が集まりました。
会社役員会もこの活動の主旨に賛同し、101,700円が組合本部に寄せられました。
この活動から45年経った今も、IVY活動としてイトーヨーカドー労働組合のボランティア精神が引き継がれています。
1979
1979年 イトーヨーカドーグループ
労連発足
組織が拡大するにつれて社会的責任が増していく中、良きパートナーとしてイトーヨーカドーグループ内の労働組合が連携を図り、激動が予想される1980年代の変化に対して柔軟に対応していくことが求められてきました。
そのため、1979年11月17日に「イトーヨーカドーグループ・ヨーク労働組合連合会」が結成されました。労連を構成するのは、イトーヨーカドー労働組合、デニーズジャパン労働組合、ヨークフードサービス労働組合の3組合であり、会長には塙昭彦イトーヨーカドー労働組合中央執行委員長が就任しました。